二ツ室塚古墳小船渡の那珂川右岸段丘上に立地する全長46.5メートルの前方後円墳。前方部を北西方向に向けています。 昭和49年、栃木県史編さん事業の一環として発掘調査が実施されています。後円部の高さが前方部の高さより...湯津上名所・旧跡
那須国造碑笠石神社に祀られている石碑で、碑文を刻まれた石碑のうえに笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれています。西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで...湯津上名所・旧跡
八龍神社例大祭(羽田・太々神楽奉納)太々神楽は、京都より伝えられたといわれています。文政4年(西暦1821年)2月に行われた座および配役世話人名を記した文書によると、当時は近隣の神職だけの奉仕によって行われていたようですが、現在は羽田(はんだ...大田原イベント・歳時記
餅つき唄平安時代の末期、治承4年(西暦1180年)、那須与一と兄の十郎が、源の九郎義経の家来となって平家追討の旅に立つとき、その出陣を祝って、福原の領民が大勢で激励のもちをついて献上したのが始まりといわれています...大田原名所・旧跡
大久保の棚田〔黒羽大字亀久 棚田枚数34枚、面積4.3ha、関係農家7戸〕棚田とは一般的に傾斜度20分の1(水平距離を20メートル進んで1メートル高くなる傾斜)以上で1ヘクタール以上の「急傾斜の山間地の階段状棚田」の水...黒羽名所・旧跡
城鍬舞大田原の城は、大田原氏がもと町島に水口居館と称し居住していましたが、天文14年(西暦1545年)大田原資清(すけきよ)に至り、前室村(大田原)に築城し、前室城と称して移り住みました。資清(すけきよ)は築城にあた...大田原名所・旧跡
佐良土屋号宿大田原市佐良土(さらど)地区は、光丸山(法輪寺)の門前町として栄えたところで、通りは今も当時の町並みを残しています。「屋号」は、集落内に同じ姓が多い場合に相互に区別するために付けられたものですが、そ...湯津上名所・旧跡