白旗城跡白旗城は、応永年間に大関増清が築いた山城で黒羽城と関係の深い城です。大関家は、那須家に属した武将集団、那須七騎の旗頭で、近世大名として安定する前の室町期まで、この城を拠点としていました。白旗城の名...黒羽名所・旧跡
大田原太子祭建設業関係者の仕事始めの儀式「太子祭」 大工職人たちが鳥帽子(えぼし)・狩衣(かりぎぬ)の装束で、木やり唄に合わせ、烏帽子と赤い狩衣姿の棟梁10人が、長さ4メートル、直径40センチのスギの丸太を抱えて参道...大田原イベント・歳時記
黒羽河岸跡近世中期の頃から明治の終わり(鉄道開通)頃まで、那珂川には帆かけ船(小鵜飼船)や筏による舟運が行われた。黒羽の属する東野地方は、利根川水系の文化圏に属し江戸と結ばれ、奥州街道の開通によって、南奥(...黒羽名所・旧跡
羽田沼(はんだぬま)の白鳥春から夏の間、遠い北国の水辺で卵を産み、子育てをしていたハクチョウたちは、冬が近づくと越冬地を求め約1週間かけて数千キロも南下します。羽田(はんだ)沼へも、毎年約百羽のハクチョウたちと、千数百羽のカモ...大田原イベント・歳時記
威徳院真雅上人が那珂川沿いから西の山を見ると、まるで霊牛がゆったりと臥せているような風景がさも極楽のようだと感じ、日頃から信仰していた「大威徳明王」のおかげと「霊牛山威徳院極楽寺」と名付けたとされていま...湯津上名所・旧跡
福原八幡宮創建年代は、さだかではありませんが、那須家の崇敬篤く、貞亨2年(1685年)社殿を修復し、更に寛政2年(1790年)修築して現在に至っています。本殿は流造り、銅板平葺で壮麗、彫刻の手法もすぐれています。大田原名所・旧跡
黒羽芭蕉の館黒羽芭蕉の館は、芭蕉に関わる資料と、黒羽(くろばね)藩主大関家の資料を常時展示していますが、多くの方々に郷土の文化遺産への関心を高めてもらうため、企画展も開催しています。建物は、八溝材を豊富に用い...黒羽名所・旧跡
佐良土屋号宿大田原市佐良土(さらど)地区は、光丸山(法輪寺)の門前町として栄えたところで、通りは今も当時の町並みを残しています。「屋号」は、集落内に同じ姓が多い場合に相互に区別するために付けられたものですが、そ...湯津上名所・旧跡
那須国造碑笠石神社に祀られている石碑で、碑文を刻まれた石碑のうえに笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれています。西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで...湯津上名所・旧跡
餅つき唄平安時代の末期、治承4年(西暦1180年)、那須与一と兄の十郎が、源の九郎義経の家来となって平家追討の旅に立つとき、その出陣を祝って、福原の領民が大勢で激励のもちをついて献上したのが始まりといわれています...大田原名所・旧跡