十一面千手観自在菩薩木彫漆塗の立像で高さ1.5メートル、作者は不明ですが南北朝時代の作風を伝える貴重なものといわれています。天文14年(1545年)大田原資清(すけきよ)が大田原城を築城後、城の四方固めの一つとして、東方の...大田原名所・旧跡
ミヤコタナゴ「市の魚」で、地元では昔からオシャラクブナと呼んでいます。コイ科タナゴ属のわが国固有の種。藻類を主とした雑食性で、1~2年で体長3~4センチメートルに成長し親魚になります。産卵期(春)になると、オスに...大田原名所・旧跡
大田原太子祭建設業関係者の仕事始めの儀式「太子祭」 大工職人たちが鳥帽子(えぼし)・狩衣(かりぎぬ)の装束で、木やり唄に合わせ、烏帽子と赤い狩衣姿の棟梁10人が、長さ4メートル、直径40センチのスギの丸太を抱えて参道...大田原イベント・歳時記
鎮国社社伝によると、久寿2年(1155年)に須藤権守貞信、千葉介常胤、三浦介義明、上総介広常等が勅を受けて那須野の九尾の狐を退治したとき、弓矢の神、八幡宮をこの地に勧請して祀ったという。これを狩野の八幡宮と称...黒羽名所・旧跡
大雄寺おススメ:5月13日~6月30日大雄寺は、応永(おうえい)11年(1404)に開山されたのが始まりといわれ、領主であった大関氏の菩提寺(ぼだいじ)として庇護され、天正(てんしょう)4年(1576)に大関高増(おおぜきたかます) が余瀬(よぜ...黒羽名所・旧跡
威徳院真雅上人が那珂川沿いから西の山を見ると、まるで霊牛がゆったりと臥せているような風景がさも極楽のようだと感じ、日頃から信仰していた「大威徳明王」のおかげと「霊牛山威徳院極楽寺」と名付けたとされていま...湯津上名所・旧跡
黒羽河岸跡近世中期の頃から明治の終わり(鉄道開通)頃まで、那珂川には帆かけ船(小鵜飼船)や筏による舟運が行われた。黒羽の属する東野地方は、利根川水系の文化圏に属し江戸と結ばれ、奥州街道の開通によって、南奥(...黒羽名所・旧跡
羽田沼野鳥公園春から夏の間、遠い北国の水辺で卵を産み、子育てをしていたハクチョウたちは、冬が近づくと越冬地を求め約1週間かけて数千キロも南下します。ここ羽田(はんだ)沼へも、約百羽のハクチョウたちが、10月末頃にやっ...大田原公園
大久保の棚田〔黒羽大字亀久 棚田枚数34枚、面積4.3ha、関係農家7戸〕棚田とは一般的に傾斜度20分の1(水平距離を20メートル進んで1メートル高くなる傾斜)以上で1ヘクタール以上の「急傾斜の山間地の階段状棚田」の水...黒羽名所・旧跡
旧浄法寺邸松尾芭蕉と曾良は元禄2年4月4日(陽暦5月22日、1689年)に浄法寺図書(俳号桃雪)に招かれた。「おくのほそ道」によれば、「黒羽の館代浄法寺何がしの方に音信る、思いがけぬあるじの悦び、日夜語つづけて云々」...黒羽名所・旧跡
光真寺霊感あらたかな甲子大黒天、子育て地蔵尊が祭られ、毎年、2月3日の節分会(せつぶんえ)や2・7月の23・24日の春秋地蔵尊例大祭は、関東各地からの参詣人で賑わいます。本堂の西側には、大田原家歴代藩主の墓(市指...大田原名所・旧跡